pipes”と呼んでいる(R.C.Hacker1984,p75)。このパイプ型の呼称は、リレハンメルの”パイプ百年史”の中でも使われています。メシャムボウルを挿せば”メシャム・チロリアン”で良いのでしょうか。ボウルの材料は陶製、メシャム、ブライアーとその他の木など最低でも4種類はあるようです。
【裏表紙】
本書の内容が簡単に紹介されている。
図2. ≪パイプ・メーカー≫の裏表紙
『すでに1700年には、アイゼナッハEisenachの山中で木彫りパイプの製造が始まっていた。また1739年以前には、ルーラRuhlaの山麓では多彩な手工業が行われていた。
レンスタイクRennsteigの傍にある小さな町(ルーラのこと)は、メシャムパイプの製造で世界的に有名になった。ルーラの他にレンシュタイク周辺の各地で、例えばレーンRhon東方においてパイプや喫煙具が製作され、世界各地に輸出されていた。チューリンゲンThuringen地方は、250年前からすでにドイツにおけるパイプ産業の中心地であった。
本書で、パイプ製作の専門家であったオットー・ポッルナーOtto Pollnerは、パイプ産業の発展過程を多数の図や写真を用いて詳細に述べている。』
(注)1740年のできごと; プロイセン・フリードリッヒ2世(大王)即位,マリア・テレジアがオースト リア領を継いだ。
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≪ドイツの地理、特にチューリンゲンの位置を確認します(図3)≫
図3. クレイパイプの製造地とチューリンゲンの位置関係
本図はドイツの白地図にA.Manger(1998)が調査したクレイパイプ製造地をプロットしたも のである。なお原図にあるポーランドのStettinは略した。またケルンの南西に図示された1ヶ所には原図に地名の表記がない。
おおまかな地勢:チューリンゲンは概ね高地ドイツの北の端に位置する。かつてクレイ窯があったとされる場所1〜5はライン川かその支流域にある。ハンブルク14と15はエルベ川、東端の14〜16はオーデル川沿いに発達した都市。中央部の6〜13も多くは川沿いに立地している。なお旧東ドイツ領は、ポーランド及びチェコに隣接する3州と、チューリンゲンTuringen、ザクセン・アンハルト州です。
色刷りの地勢図にプロットするともっとハッキリしますが
ドイツ・クレイはオランダ(Gouda)を出発してから、低地ドイツと高地ドイツの境辺りに広がった。この一帯はちょうど、ドイツの方言分類で云うところの”中部ドイツ語”圏に重なります(図4参照、但し例外的なところもあります)。北の低平地では、材料の粘土鉱床が稀であっただろうし、南部の山岳地では”技術の伝達路”の問題があったかも知れません。また北部のドイツ語ほどオランダ語に近いと云う利点も影響したかも知れません。いずれにせよ南方の高地ドイツには、クレイパイプにあまり見るべきものはないようですが、その代わりに、伝統的な木工技術を活かした木製パイプと、やや遅れて磁器パイプ、そして東欧経由のメシャムが発達した− ということのようです。(ココまでは、過去記事:ウルムパイプ#01の復習です)
図4. ドイツ方言地図(木村・相良独和辞典,昭和45年版より
【チューリンゲンの概要】<内表紙から
本書に登場する主な都市は、下図に示された各地です。
黒丸が重要。波線の意味は目下のところ不明です。