三浦ダム見聞記#06−索道の経路
2019-02-21


2月21日 木曜日
 先の記事で、ダムの建設に使われた索道ルートを推定しました。最近読んだ<竹原郷土誌(竹原郷土誌研究会)>によればそのルートは、『乗政から鞍掛峠を越えていた』−
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 三浦ダムの索道とは別に、遡ること十余年の大正年間に、飛騨川・瀬戸発電所建設の際にも、索道が活躍した。中部電力株式会社編集の<飛騨川 流域の文化と電力>に詳しく書かれている。それは大正10~13年のことで、セメント運搬を目的として中央線の坂下から三原(さんばら)まで架設された。延長22哩の長大な物です(下写真)。
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 現在の鉄道・道路網をグーグルマップを引用して下に示します。
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 右下の赤円内に坂下、左上の赤円内に三原がある。飛騨索道のルートは、”阿寺あでら断層”に沿っています。
 今ではどちらの索道も見学することはできません−想像するだけ。それらを造ったのは明治時代に生まれた人々・・・、彼らの人間力に圧倒されます。


[ダムの無駄話]

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